経験が邪魔をするもの
いつも有難うございます、チャオです。
今回は経験が邪魔するものというテーマで書いてみます。
そもそも上達するために経験を積むのに邪魔になるって矛盾しているでないか?と思われる人もいますよね💦
とは言え実は結構そういうものってあると思います。
僕自身の体験として強く感じているのは写真でのことです。
写真を好きで初めて仕事にした結果同じことを感じる人も結構多いのではないかと思います。
さらに詳しく僕の経緯からなるべく端的に話していきます。(努力しますw)
写真をはじめた頃、我武者羅にとにかく撮っていました。
その中で今見返すと本当にヘタッピだなと思う写真もありますが、どうしてこんなの撮れたんだろう?とか下手だけどなんか味があるといった写真もあるのです。

言ってしまえば赤点のようなものから自分の力量を超えた120点?みたいなものまであった感じ。
そして、志事にしていく中でヘタッピな写真は撮れないなと思い、そうならないような経験を積んでいくわけです。
そのおかげでこういう時はこうしたら良いとかこう撮れば間違いはないといった自分の中でのセオリーができあがってきます。
そうすると常に70点、80点の安定したものが撮れるようになる訳です。
これは悪いわけではないですが、自分で作品として、撮りたいものとして撮った時にもこの感覚に引っ張られるのです。
結果安定感はあれど自分の限界を超えない写真の出来上がりですw
この時は「チャオの写真て安定感あるよね〜」って言われるのがとっても嫌でしたw
(言った本人は褒めてくれてるつもりなんだと思いますがw)
あの当時は感覚的、右脳的に撮っていた。(撮らざるおえなかった)
そこから知識、経験でいつしか左脳的に撮るようになっていた。
これで得られたものも多いが、自分としてはつまらないヤツになったという感覚w
迷い巡った結果経験のなかった時のメリットに気づくわけです。
僕自身まだまだとはいえきっとコーチングの中でもあると思います。
経験やデータが取れていると、傾向だったり、きっとこうだろうという決めつけもうまれやすくなります。
(だからこそ平本式では白紙で共感が基本として大切と言われ続けるわけです)
それが当たれば良いですが、ハズレたまま進んでいくと結果相手はスッキリしないものになりかねない。
これもまた経験が裏目に出ることの一つですね。
総じて思うことは、直感や五感を信じ、自分の思考を疑う。
ここが今僕の打開できるポイントだと感じています。
さぁそのためにみなさんはどうしたら良いと思いますか?
是非見つけて行動してみてください^^
